大河ドラマ「八重の桜」第49回”再び戦を学ばず”
今回の「八重の桜」は、
覚馬の死。
そして、容保公の死でした。
思えば、覚馬は会津藩砲術指南の家に生まれ、江戸に留学していち早く世界の潮流を読み取り、刀ではなく新式銃の必要性を説いた会津藩士だったのですが、
銃ではなく、知恵で以て戦を避けるべきと考える人だったのです。
覚馬にとって学問をして知恵を持つことは、武器を持つことと同じ。
それゆえ、幕末の会津藩には、戊辰戦争に巻き込まれない別の道があったのではないか。。と考えます。
ところが、
山川大蔵はまた違うのですね。「義」を重んじています。
だから、容保公の生存中に会津藩が朝敵にされた屈辱を晴らそうと、当時の京都で何が起こったのかを覚馬に聞くために、弟健次郎を京へ向かわせます。
覚馬は、
帝の崩御で長州と会津の立場が入れ代わったこと、
薩長にも会津藩と同じく勤王の志があり、彼らにも思い描く日本の見取り図があったこと。
覚馬:戦をせず国を滅ぼさぬ道もあったはずなのだ!
御家訓の一条に会津は縛られてしまった。
(一条とは”一心大切に忠勤を存ずべし”。一心への忠勤とは、徳川家への忠勤のことです。)
覚馬が御家訓を言いはじめると、ひれ伏す八重と健次郎です。(すごい会津魂です。)
いくつもの不運、はかりごとに乗せられもしたが、それでもまだ引き返す道はあったはずだ。(覚馬)
健次郎:覚馬先生!
あなたは忠勤を尽くした大殿と会津藩士をおとしめるのか!?
会津には「義」がありました。
覚馬:向こうも同じように思っていただろう。(力なく言う覚馬です。)
誠意を尽くすことは尊い。だが、それだけでは人を押し潰す力をはね返す事はでぎねえ!
健次郎:覚馬先生は会津魂を忘れてしまったのではありませんか。
八重:亡くなった仲間たちを思うと会津が間違っていたとは決して言えねえ!
すると、
覚馬の頬に一筋の涙が。。。
八重の言ったように、覚馬はいつも人より先を見ていて、進むべき道はこっちだと言い続けてきたのです。
今回も、会津が敗れた理由の中から、戦(日清戦争)を避ける道を考えていたのですね。
人間の知恵や知識で戦が避けられないのなら、学問など無駄なのか。。。と弱気になる覚馬。
でも、八重は、
「兄様が学問は武器で、学問をすれば答えが見つかると教えてくれた。それが襄の学校作りに役立った」
と言います。
しみじみとした覚馬と八重の会話でした。
覚馬は、同志社英学校卒業式で、卒業生たちの向かって、
二度と再び戦を学ばず。
いかなる力にもその知恵であらがい、道を切り開いて下さい。
と言います。
覚馬の式辞を聞いていた母の佐久は「覚馬・・・。」とつぶやき、涙します。
その姿に管理人も涙ぐんでしまいました!
息子がこんなに立派になっても、母親にとってはいつまでも愛しい子供なんですよね~。
風吹さん、良かったです!
京に来て、30年。
一度も会津に帰ることが出来なかった覚馬ですが、やっと帰れそうです。
「みんなが 待ってんべ」 (覚馬)
覚馬の最期のシーン。息子と母親の情感があふれてて、いい母子だったんだと。。。
「ありがとなし。」
64年の苛烈な生涯の幕を閉じた覚馬です。
西島さん、良かったです!
さて、
容保公も辛かったでしょうね。
御宸翰(ごしんかん)を朝敵にされた時に秘していたのは、
勅を得た者が正義となった都の争いにあって、御宸翰を出すことによって、再び戦の火種になる。
そのことだけは避けねばならぬと。。思ったからであり、
だが、武士の忠義を貫いたために会津を死地へと追いやってしまったと言う容保公。
病床の容保公。当時のやるせない思いが伝わってきて、
綾野さん、良かったです!
山川大蔵:あの時、会津までもが徳川を見捨てていたならば、こん国にまことの武士がいなかった事になります。
でも、
”義”も大事ですが、
覚馬の言うように、”義”だけでは人を押し潰す力をはね返す事が出来ないのも事実なんですね。
「八重の桜」を観ていると、会津は日本そのもののように感じます。
ところで、
襄、覚馬というふたりの支えを亡くした八重ですが、
なんかとても逞しく感じたのは管理人だけかな?
八重の本当の自立は兄と夫を亡くしてからなのですね。
今回の八重はとてもハンサムでした!(笑)
あらすじ NHK HPより
1890(明治23)年に教育勅語が発表されると、覚馬(西島秀俊)は天皇への忠義を課す一節に懸念を抱いていた。
そんな覚馬のもとに東京から健次郎(勝地涼)が訪ねてきた。
健次郎は兄・浩(玉山鉄二)に代わって川崎尚之助(長谷川博己)の会津戦記を仕上げるために、京都でどのように薩長と戦っていたかを覚馬に詳しい話を聞く。
しかし、覚馬が薩長にも勤王の志はあったと語ったことに、健次郎も八重(綾瀬はるか)も激しく反論する。
その後、同志社の卒業生たちに不戦の精神を説いた覚馬は、荷を下ろし、安堵(あんど)したかのように病床に就いた。
覚馬の死。
そして、容保公の死でした。
思えば、覚馬は会津藩砲術指南の家に生まれ、江戸に留学していち早く世界の潮流を読み取り、刀ではなく新式銃の必要性を説いた会津藩士だったのですが、
銃ではなく、知恵で以て戦を避けるべきと考える人だったのです。
覚馬にとって学問をして知恵を持つことは、武器を持つことと同じ。
それゆえ、幕末の会津藩には、戊辰戦争に巻き込まれない別の道があったのではないか。。と考えます。
ところが、
山川大蔵はまた違うのですね。「義」を重んじています。
だから、容保公の生存中に会津藩が朝敵にされた屈辱を晴らそうと、当時の京都で何が起こったのかを覚馬に聞くために、弟健次郎を京へ向かわせます。
覚馬は、
帝の崩御で長州と会津の立場が入れ代わったこと、
薩長にも会津藩と同じく勤王の志があり、彼らにも思い描く日本の見取り図があったこと。
覚馬:戦をせず国を滅ぼさぬ道もあったはずなのだ!
御家訓の一条に会津は縛られてしまった。
(一条とは”一心大切に忠勤を存ずべし”。一心への忠勤とは、徳川家への忠勤のことです。)
覚馬が御家訓を言いはじめると、ひれ伏す八重と健次郎です。(すごい会津魂です。)
いくつもの不運、はかりごとに乗せられもしたが、それでもまだ引き返す道はあったはずだ。(覚馬)
健次郎:覚馬先生!
あなたは忠勤を尽くした大殿と会津藩士をおとしめるのか!?
会津には「義」がありました。
覚馬:向こうも同じように思っていただろう。(力なく言う覚馬です。)
誠意を尽くすことは尊い。だが、それだけでは人を押し潰す力をはね返す事はでぎねえ!
健次郎:覚馬先生は会津魂を忘れてしまったのではありませんか。
八重:亡くなった仲間たちを思うと会津が間違っていたとは決して言えねえ!
すると、
覚馬の頬に一筋の涙が。。。
八重の言ったように、覚馬はいつも人より先を見ていて、進むべき道はこっちだと言い続けてきたのです。
今回も、会津が敗れた理由の中から、戦(日清戦争)を避ける道を考えていたのですね。
人間の知恵や知識で戦が避けられないのなら、学問など無駄なのか。。。と弱気になる覚馬。
でも、八重は、
「兄様が学問は武器で、学問をすれば答えが見つかると教えてくれた。それが襄の学校作りに役立った」
と言います。
しみじみとした覚馬と八重の会話でした。
覚馬は、同志社英学校卒業式で、卒業生たちの向かって、
二度と再び戦を学ばず。
いかなる力にもその知恵であらがい、道を切り開いて下さい。
と言います。
覚馬の式辞を聞いていた母の佐久は「覚馬・・・。」とつぶやき、涙します。
その姿に管理人も涙ぐんでしまいました!
息子がこんなに立派になっても、母親にとってはいつまでも愛しい子供なんですよね~。
風吹さん、良かったです!
京に来て、30年。
一度も会津に帰ることが出来なかった覚馬ですが、やっと帰れそうです。
「みんなが 待ってんべ」 (覚馬)
覚馬の最期のシーン。息子と母親の情感があふれてて、いい母子だったんだと。。。
「ありがとなし。」
64年の苛烈な生涯の幕を閉じた覚馬です。
西島さん、良かったです!
さて、
容保公も辛かったでしょうね。
御宸翰(ごしんかん)を朝敵にされた時に秘していたのは、
勅を得た者が正義となった都の争いにあって、御宸翰を出すことによって、再び戦の火種になる。
そのことだけは避けねばならぬと。。思ったからであり、
だが、武士の忠義を貫いたために会津を死地へと追いやってしまったと言う容保公。
病床の容保公。当時のやるせない思いが伝わってきて、
綾野さん、良かったです!
山川大蔵:あの時、会津までもが徳川を見捨てていたならば、こん国にまことの武士がいなかった事になります。
でも、
”義”も大事ですが、
覚馬の言うように、”義”だけでは人を押し潰す力をはね返す事が出来ないのも事実なんですね。
「八重の桜」を観ていると、会津は日本そのもののように感じます。
ところで、
襄、覚馬というふたりの支えを亡くした八重ですが、
なんかとても逞しく感じたのは管理人だけかな?
八重の本当の自立は兄と夫を亡くしてからなのですね。
今回の八重はとてもハンサムでした!(笑)
あらすじ NHK HPより
1890(明治23)年に教育勅語が発表されると、覚馬(西島秀俊)は天皇への忠義を課す一節に懸念を抱いていた。
そんな覚馬のもとに東京から健次郎(勝地涼)が訪ねてきた。
健次郎は兄・浩(玉山鉄二)に代わって川崎尚之助(長谷川博己)の会津戦記を仕上げるために、京都でどのように薩長と戦っていたかを覚馬に詳しい話を聞く。
しかし、覚馬が薩長にも勤王の志はあったと語ったことに、健次郎も八重(綾瀬はるか)も激しく反論する。
その後、同志社の卒業生たちに不戦の精神を説いた覚馬は、荷を下ろし、安堵(あんど)したかのように病床に就いた。
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