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  • 2019_09

東本願寺別邸 渉成園(2)

関西は今日も暖かいですが。。。。

渉成園の続きです。    (MAPは最後にUPしてます。)

渉成園南側は、印月池(いんげつち)があって、この池は池泉回遊式庭園です。

印月池は、東山から上る月影を水面に映して美しいことから、この名が付けられました。

この池を春、夏、秋、冬と巡ったら、それぞれの四季の趣きに出会うことが出来て、心が和むでしょうね~。

曾ての日本人は、それぞれの四季の趣きを暮らしに取り入れる工夫を随所にしていて、その美的感覚には驚かされます。単純に日本人ってすごいと思ってしまいました。

そういうわけで、渉成園には、たくさんの著名人が訪れ、その風物を詠んだ詩や和歌、俳句を残しているのです。


特に、江戸後期には、公家や茶人などの文化人を中心に「御庭拝見」が流行したそうです。

幕末の動乱期、東本願寺は幕府に近い立場であったため、将軍、幕府要人も多く訪れ、将軍家茂公、慶喜公は殊のほか気に入り、幾度となく訪れていたそうです。

今、ちょうど大河ドラマ「八重の桜」を観ているので、そのような話を耳にすると、幕末の激動期、家茂公、慶喜公の心中を察するにあまりある思いです。

さて、話しが逸れてしまいましたが、

MAP上のが、印月池に浮かぶ北大島へと渡る侵雪橋(しんせつきょう)です。

侵雪橋
IMG_1691.jpg

島を渡ると上方に茶室 MAP上縮遠亭(しゅくえんてい)があります。

縮遠亭
IMG_1695.jpg

曾て、この縮遠亭からは東山三十六峰の一つ阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のごとく見晴らせたらしいのですが、江戸後期には、樹木が繁茂してもう見えなくなってしまったのです。

の橋 回棹廊(かいとうろう)を渡って島から出ます。

回棹廊
IMG_1703.jpg


回棹廊は北大島と⑬の丹楓渓(楓が植えられていて、秋には見事な紅葉です)を結ぶ木橋です。
安政の大火の前は、朱塗りの欄干を持つ反橋だったらしいのですが、現在は檜皮葺の屋根をもつ橋です。


IMG_1705.jpg


この橋の東岸真正面に紫藤岸が見れるのですが、藤の時期ではないので、枯れています。
枯れきっているようですが、花は咲くのでしょうか?もともとこの藤は野生とのことです。

↓こんな感じです。
IMG_1704.jpg

↓池の佇まい

IMG_1696.jpg
京都タワーが見えてます。

IMG_1699.jpg

IMG_1706.jpg


IMG_1700.jpg

↑の写真に見えている建物が漱枕居(そうちんきょ)です。

漱枕居の名は、旅路にあることを意味する「漱流沈石」の語から採られています。

↓は源融(みなもとのとおる)のゆかりの塔と言われています。(北大島に浮かぶ赤色の
IMG_1717.jpg

源融は左大臣で、嵯峨天皇の皇子でしたが、源の姓を賜って臣籍に下っています。
「源氏物語」の主人公・光源氏のモデルの一人とも言われているようです。
塔は源融の供養塔といわれている九重塔で、塔身には四方仏が刻まれ、基礎の部分には蓮華が彫刻されています。
この塔は渉成園が築造される以前から建っていたとのことです。

↓カメラを近づけました。
IMG_1716.jpg


↓亀の甲の井戸(亀の甲にあたる部分が掘られていて、中心に井筒が埋められ井戸になっています。)MAP赤字の③です。
IMG_1673.jpg


そして、

↓池のほとりには。。
IMG_1719.jpg

アオサギですね~。
彫刻と間違えてしまいました!

IMG_1681.jpg

椿もきれいです。



渉成園には、一三景の諸建築と九の名物・景物があるのですが、ほんの一部分しかUP出来なかったのが、とても残念です。
本当に素敵な庭園でした。


↓渉成園のイラストMAPです。  (パンフレットより)
IMG_1721.jpg


↑の図

が書院群の臨池亭(りんちてい)と滴翠軒(てきすいけん)

が園林堂

が傍花閣




  1. [ edit ]
  2. お寺
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東本願寺別邸・渉成園(1)

今日の関西は暖かかったですね~。

1か月前から友達と約束していた京都行き。

寒いだろうなと思っていたけど、汗をかいてしまうほどでした!

JR京都駅にある美術館「えき」で開催されている ”知られざるミュシャ展” を観に行ったのですが、「折角京都に来たのだから、お寺に行きたい。」と言うと、東本願寺の庭園がとても良いとのことで行ってきました。

JR京都駅から、歩いて10分ほどです。

実家も嫁ぎ先も、お寺さんの宗派は西本願寺なので、東本願寺ははじめてです。

でも、庭園は東本願寺より、碁盤の目のような京の町の道2筋隔てた位置にありました。

渉成園

渉成園(しょうせいえん)は、東本願寺の別邸。

昭和11年(1936年)12月、国の名勝に指定されてます。

1602年、教如上人(東本願寺十二代)が徳川家康から寺地を寄進され、東本願寺が成立。

その後、十三代宣如上人が三代将軍徳川家光から東本願寺の東の土地を寄進され、宣如上人は、ここを隠居所としたのですね。

渉成園の名の由来は、陶淵明の詩「帰去来辞」の一節”園日渉而以成趣”(園、日に渉って以って趣を成す)から採って「渉成園」と名付けられたそうです。

または、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。

枳殻(からたち)を生垣として周囲に植えたことからこのようにも呼ばれたということです。

渉成園には、四季折々の花々が咲くのですが、今回は梅が満開でした。

他の木々は、まだまだ枯木の装いですが、枯木(落葉した樹木)もまた味わい深いものですね~。


IMG_1652.jpg
↑西門が入り口です。

渉成園は、約一万六百坪の敷地を有し、大小二つの池と数棟の茶室に加え、園林堂(持仏堂)と書院群で構成されています。

庭園北側には、書院群と園林堂(持仏堂)、傍花閣があり、南側は、主に印月池と、閬風亭(ろうふうてい)、漱枕居などあります。


西門を入って、左に折れ、すぐ右に曲がって真っ直に行くと庭園北口です。

IMG_1662.jpg
↑庭園北口


庭園北口に入ると、すぐ左に、池に面して書院群の臨池亭(りんちてい)と滴翠軒(てきすいけん)が建てられています。

IMG_1671.jpg
臨池亭(幅一間の縁が池に張り出して、池との一体感が強調されています。)

奥に見えるのが滴翠軒で、吹放しの廊下で繋がっています。

IMG_1665.jpg

滴翠軒  右方が「キリシマヤマ」という築山です。

池のほとりに立つと鯉がさっと寄って来ました。
でも、えさがないと分かると、さっと去って行きます。

IMG_1669.jpg
去っていくところ。


園林堂(持仏堂)です。
IMG_1711.jpg

園林堂の室内には、棟方志功画の「天に伸ぶ杉木」「河畔の呼吸」と題された42面の襖絵があります。
観たいけど、当然ダメでした。

「園林」とは、仏典では、”浄土”を表す表現ということです。

園林堂のちょうど前には、桜木に囲まれるように傍花閣(ぼうかかく)が建っています。



傍花閣
IMG_1682.jpg

傍花閣は、庭園には珍しい楼門(2階造りの門)作りで、左右側面に山廊(禅寺の三門の両側にある平屋建の建物)と呼ばれる階段の入口があり、階上に四畳半の部屋があります。

見てないのですが、部屋の天井中央には磁石板に十二支を配した珍しい図様が描かれているとのこと。

奔放で、軽快な構成と穏やかな数寄屋造りの手法を兼ね備えた、園内でも特に個性的な建築です。
傍らには桜並木が広がり、春にはその名にふさわしい佇まいを見ることが出来ます。

                               (パンフレットより)


IMG_1688.jpg
↑枝垂れ桜の木

見た目は枯木ですが、近づくと小さな蕾をつけています。まるで、じっと花開く時をうかがっているようです。

IMG_1720.jpg
↑桜の蕾。 かなりピントがずれてますが。。。ーー。


友達が言うには、桜はぐっと冷え込んで、暖かくなるといっきに開花するらしい。
ぐっと冷え込むことが大事とのこと。

開花したら、見事でしょうね~。



庭園南側はまた次回にUPしますね~。



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  2. お寺

京都 龍安寺の鏡容池(2)

龍安寺石庭の続きです。

龍安寺には蔵六庵という茶室があるのですが、その近くにある蹲い(つくばい)です。

IMG_1521.jpg
↑の蹲いは本来のものではありません。

本来の蹲いを大きくUPした写真(パンフレットより)です。

IMG_1562.jpg

なんか文字のように見えます。
これは中心の口(水が入っているところ)を共用すると、”吾唯足知”という文字になるのですね。
”ワレタダタルヲシル”と成り、禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道ということです。

”足知”は管理人に一番必要な言葉ですが。。。ーー。

さすがに禅寺だけあって、庫裡の漢詩といい、至るところに人生を過ごす上での箴言があります。

蹲いの傍には、秀吉公が賞賛したと伝えられる侘助椿もあります。ちょっと侘助椿の写り具合が悪いですが。。。

さて、方丈を出て、鏡容池を一巡りしますね。

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苔がすごくきれいです。この龍安寺も世界遺産なんですね。
最近、昔と比べて、寺院は手入れが行き届いているところが多くて驚きます。どうしてかと思ったら世界遺産に登録されたら国からの補助があるらしいのです。
でも、世界遺産に登録されなかったのか、とても荒れ果てて、痛々しいお寺もあります。
昔はこんなに荒れてなかったのにと思うお寺と、驚くほどきれいになったお寺と、龍安寺のように昔も今も綺麗なお寺の三通りかな。

途中に藤棚も。。。ここで少し池を見ながら休憩です。

IMG_1535.jpg

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        初陣の功の如くに初紅葉       後藤比奈夫

うまく撮れなかったけれど、上の紅葉はホントに初陣で功を立てたようにそこだけ輝いていました。^^

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IMG_1537.jpg

↑龍安寺の裏には山が連なっています。そのひとつが見えています。 

↓池には蓮や睡蓮の葉が敷き詰めたようにあって、その中でおしどりも。。  
動物を撮るのは難しくて(下手なだけなのですが)、かなりピントがぼけています。     

IMG_1544.jpg

IMG_1546.jpg

ところで、枯蓮もきれいに纏められていました。

IMG_1536_1.jpg

すごい気配りですね!

この日はてくてくてくと妙心寺まで足をのばしたところ、

妙心寺では、思いもよらず法堂の天井に描かれた狩野探幽作の雲龍図を拝することが出来て、気分も小春日和でした。


また、UPしますね~

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  2. お寺

京都 龍安寺の石庭 (1)

11月3日、京都の龍安寺へ行ってきました。 (長いです~。)

石庭でとても有名なお寺です。
龍安寺(りょうあんじ)と言えば、石庭。  石庭といえば龍安寺っていうくらいに有名ですね。

龍安寺は臨済宗の禅寺です。

龍安寺:徳大寺家の別荘だったのを、1450年(宝徳2年)管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものです。

JR京都駅からバスで40分くらいで、近くには、金閣寺、北野天満宮、仁和寺、妙心寺があります。


↓は龍安寺の山門です。
IMG_1492.jpg

山門をくぐると、すぐ左がわに鏡容池が見えます。


IMG_1497.jpg

この池は徳大寺家によって築かれたもので、おしどりが群れ遊んだところからおしどり池とも呼ばれています。
方丈の石庭を見た後に、この池をぐるりと一巡りすると、龍安寺全景の山々が古来の姿そのままに眺望され、その美しさに、ホント日本に生まれて良かったと思いました。

他国には他国の素晴らしいところもあるのですが、このような景色、または造りは日本の美そのもののように感じました。
写真をたくさん撮ってきたので、お付き合いくださいね~

鏡容池に沿って、しばらく歩きます。

IMG_1498.jpg

すると、右に参道があり、参道から方丈への階段に着きます。

IMG_1501.jpg

この階段を登ると・・・

IMG_1504.jpg

↑庫裡です。庫裡から方丈へとつながっています。


庫裡:寺の台所、転じて住職や家族の居間。
方丈:禅宗などの寺院建築で、長老・住持の居所で、本堂・客殿も兼ねる。

IMG_1507.jpg
↑庫裡を入ったところ。

庫裡を入ると真正面に
IMG_1506.jpg

↑は寺西乾山(明治の漢学者)筆の陶淵明の漢詩「飲酒」です。

IMG_1505.jpg

↑はこの詩の一部を写真におさめたのですが、実はまだ続いています。

飲酒   (陶淵明作)

結盧在人境  
   
而無車馬喧

問君何能爾  
    
心遠地自偏

采菊東籬下

悠然見南山

山気日夕佳

飛鳥相与還

此中有真意

欲弁已忘言


盧を結んで人境にあり

而も車馬の喧(かまびす)しき無し

君に問う何ぞ能く爾(しか)ると

心遠ければ地自ずから偏なり

菊を采る東籬の下

悠然として南山を見る

山気 日夕に佳く

飛鳥 相与(とも)に還る

此中に真意あり

弁ぜんと欲して已に言を忘る


簡単に言うと。。。(いい加減ですが。。)


人里に庵を作ったのに、車、馬の音は喧(やかま)しくない。
で、君に問う。どうして、喧(やかま)しくないのかと。。(自問自答ですね!)
心が人里より離れていれば、この地は自然とそのような気分になる。
東の垣根の下で菊を採り、ゆったりとした気持ちで南山を見る。
山の空気は朝、昼、夕と佳く、鳥は連れだって巣に帰る。
この中に人生の本当の意味があるのではないか。
言葉で説明しようとすると言葉を忘れてしまう。(”うまく言えない”ってことかな?)


龍安寺の石庭から見る景色、鏡容池を一巡りしている時の景色。
この漢詩に表現されている通りの風景でした。(この詩の中の自然は中国ですが。。)


やっと、石庭です。

IMG_1514.jpg

この石庭は、縦10メートル、横25メートルの空間に白砂を敷き詰め、大小15個の岩石が配置されており、室町末期(1500年ごろ)、優れた禅僧によって作られたと言われています。

極端なまでに象徴化されたこの石庭の意味は謎に包まれており、見る人の立場、思想、宗教などによって、様々に解釈されているということです。

↓は模型です。

IMG_1510.jpg

この石庭に面している部屋です。

IMG_1512.jpg

本来の襖絵は非公開になっています。

この方丈を一巡りしました。

石庭を通り抜けて右へ・・


IMG_1517.jpg

↑は渡り廊下。

また、右に曲がると、石庭の真反対側の庭です。

IMG_1520.jpg


1975年、イギリスのエリザベス女王が日本を公式訪問された時、石庭の見学を希望されたそうです。
エリザベス女王が、石庭を絶賛されたことで、海外のマスコミに報道され、今では日本のZEN(禅)ブームと相俟って、海外の観光客の来訪者が多いようです。

当日も海外の観光客も多くいらしていて、ガイドさんが英語で説明されているのを熱心に聞かれている場面や、また、枯山水の石庭に感嘆されている場面に出会い、少し誇らしかったです。^^


長い文章、最後までありがとうございます。

あまりにも長いので、龍安寺の鏡容池は次回にしますね~(ーー。)







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  2. お寺

西行法師終焉の地 弘川寺

       

       
         ねがはくは花のしたにて
                

        春死なん
       

        そのきさらぎの望月の頃

       


とても有名な西行法師の歌です。
管理人もあるお寺の薄墨桜を見て、このように思ったことがあります。

西行さん、今、NHK大河ドラマ「平清盛」で藤木直人さんが演じられている佐藤義清(のりきよ)のことですね。
管理人はドラマを観ていないのですが、この前ちらっと観たらもう僧の姿でした。

先日、この歌に詠まれている花(桜)のある弘川寺に行って来ました。
満開の桜を期待していたのですが、西行墳(づか)の桜はもう散っていました。ーー。

弘川寺は大阪南河内郡にあるお寺で、近鉄南大阪線富田林駅よりバスで30分のところです。
行ってみて驚いたのですが、バスは1時間に1本しか運行されておらず、ずいぶんと山里です。
このこじんまりとした閑かな山寺で、西行さんは最晩年を過ごされ、願われたとおり桜の咲く頃に亡くなられたのですね。(望月であったかどうかは分かりませんが)


IMG_0936.jpg
弘川寺本堂です。ご本尊は天武天皇勅願の薬師如来像です。

IMG_0937.jpg
この桜の右奥にあるのが鐘楼です。

IMG_0938.jpg
西行堂。西行法師像が安置されてます。

IMG_0940.jpg
ここから桜山です。西行八百年遠忌の年に三、五ヘクタールの地に桜千本が供花として植樹され、以前の桜と合わせて約千五百本の桜を抱く山に西行法師は眠られています。


IMG_0942.jpg
お参りした日は小雨が降っていて、この桜山への径は幅1メートル弱ほどのぬかるみの道でした。
下を見るとほぼ垂直の崖で、「滑って転げ落ちたら、まっしぐらね!」と友達と冗談を言ってましたが、恐かったですよ。この大木は径より崖を見下ろすように枝を広げています。

この桜山からは南河内の里が一望出来、木々の間から見る夕日は絶景らしく、最晩年の晩秋からこのお寺で過ごされ、あくる年の春のはじめの桜の花が開く頃に亡くなられた西行さんは、ほんの半年足らずの間、ここからの夕日を見て、どのような感慨にふけられたのかと思いました。


西行さんは23才で出家されたのですね。
出家前は鳥羽上皇の北面の武士佐藤義清(のりきよ)として、すでに妻子のあった身で、家は裕福、武勇に優れ、蹴鞠も上手、歌も詠み、美貌でもあったらしいのです。
そのような人物がどうして出家したのか??
さまざまな憶測があり、後世も研究されてきたが、はっきりした原因が分からないらしいのです。
どうも悲恋が原因との説も。。


瀬戸内寂聴さん”西行の恋と歌”(週刊朝日百科「仏教を歩く」NO、09)の”許されぬ恋の相手を月に託して”の文に悲恋の伝説のことが書かれています。一部抜粋しますね。

そうした伝説に頼るまでもなく、西行の遺したおびただしい恋の歌が、この悲恋のすべてを物語っている。
花鳥風月を詠み、特に花と月を題材とした歌が多いが、三百首ばかり遺した恋の歌の迫力は、伝説の恋故の出家というロマンスに強い説得力を持たせている。
 恋の歌はすべて切迫した哀切な情緒をたたえ、後世の読者の胸を打つ。恋の相手の立場をはばかって、西行の恋の相手は月にたとえられていることが多い。
 西行の詠む恋はすべて悲恋の切なさであり、恋の喜びや幸福感は歌われていない。
恋の成就したその瞬間から、若い義清は恋の苦悩にさいなまれる。しのばねばならぬ禁断の恋。許されぬ恋にこそ、至福の肉欲の情味がもたらされる。


        

        なげけとて月やは物を思はする


        かこち顔なるわが涙かな



                               (かこち顔:なげいている顔つき)

この歌も有名ですね。定家選「小倉百人一首」に入っています。


NHK大河ドラマ「平清盛」にはこのあたりの悲恋のことが主人公より詳しく描かれていたようです。


同じ”(週刊朝日百科「仏教を歩く」NO、09)には梅原猛さんの西行についての文もあります。

”無常を感じて出家した天才歌人”  一部抜粋します。

彼が、自らを西行と名付けたように、西方浄土に憧れた僧であったことは間違いない。しかし彼の少し後に出た法然のように、信仰の対象を阿弥陀仏一本に絞り、その往生の方法として口称念仏のみにかぎるような専修念仏の徒ではない。彼の信仰は自由で、すべての仏や神を分け隔てなく崇拝するものであった。

中略

名利とともに僧として捨てねばならないものは愛欲である。彼はたしかに二十三歳にして妻子を捨て、出家した。しかし「源平盛衰記」は、やんごとない貴女に対する恋が西行の出家の動機であったと語る。西行はこの貴女と一夜の契りを結んだが、その貴女に「阿漕」(あこぎ)といわれて悲しんだ。伊勢の海、阿漕の浦には、神の誓いで年に一度しか網を引かないという定めがあり、その貴女は「たびたび阿漕の浦で網を引けば、すなわちあなたにお会いしたら、いつか噂になってしまうので会えない」と断ったのであろう。

西行は矛盾の人であった

 このようなことが西行の出家の動機であったかどうかは分からないが、僧でありながら数多くの恋歌を作った西行には、決してあり得ない話ではない。

中略

西行は矛盾の人であるといわざるを得ないが、すぐれた芸術というものは、そのような俗と聖の間の深い矛盾のなかから生まれる。大乗仏教の「煩悩即菩提」というのは、西行の人生そのものを象徴する言葉であろう。西行の歌にはそのような矛盾する自己と自然を深く眺めるところがあるが、それも西行が学んだ天台仏教の止観の世界観の上に立ったものだろう。





西行法師についていろいろな出家の説があります。




弘川寺に行く前に、同じ南河内の天見にある温泉旅館(天見温泉)南天苑で食事をしたのですが、ここでは桜が満開でした! 続きに桜の写真をUPしました。


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